総裁選を九大に当てはめてみた

前書き

総裁とはなんだろうか。

党首と何が違うのだろうか。

 

そうさい【総裁】

①機関の長として全体を総括し、とりさばくこと。また、その職。「日銀―」

②慶応3129日(186813日)、王政復古の大号令により議定ぎじょう・参与とともに設置された最高官。翌慶応4年閏4月、政体書により廃止。

広辞苑より引用

 

 

②にあるように元々は江戸時代の役職名に由来し、前身政党に倣って自民党トップの名称として使用されている。(他の一部政党も使用)

 

各候補者の口から出るのは、防災省だとか官僚を活かすだとか。

世間から求めてられているのは一貫した言動、説明責任を果たす姿勢。閉塞した状況を打破するリーダーシップか。

今日9/14に決まる次期総裁が総理大臣となるが、投票権を持つのは自民党所属国会議員と自民党員(それぞれ議員票、地方票と呼ばれる)。

18歳以上の全ての国民に選挙権があるわけではなく、今日総理大臣が決まる。

 

メディアやSNSを見る限り関心が高いように思えるが、「投票前に結果はわかっている。」という声もある。毎日に忙殺され注目する余裕がない、そもそも関心がない等の人もいる。

 

ふと思った。

 

今回の総裁選は学長が交代するようなものかもしれない。

公務員にしてみれば首相交代により業務が即座に変わるわけではないが、方針転換により対応する事業も凍結もしくは立ち上げとなることもあり得る。一国民としても少なからず生活に影響が及ぶ。

 

テレビをつけると各候補者が経済対策だけでなく、これまで手薄だった少子化対策や地方創生に言及している。(受け答えは

見て面白いわけではないし、マスメディアの視聴率低下で世間の関心度は低いかもしれない。

 

(ここから)本題

というわけで、自民党総裁選を母校の総長選挙に例えてみた。

久保総長は9.30で任期満了となり、次期総長が就任する。(私も最近知った)

 

どうせなら新総長には九大学研都市駅からキャンパスまでの交通の便を改善してほしいし、キャンパス周辺の施設(スーパーや飲食店、娯楽施設等)誘致に取り組むことを期待している人も多い。

 

どうやって決まるんだろうと調べてたら7/16に決定していた(ω)

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7/16九大次期総長候補者の決定について

 

総長選出についてはこちら(新総長が気になる方はご確認ください)

https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/university/information/presidential_selection

 

 

総長の方針で大学運営が変わり学生や教職員に影響が及ぶものの、16人の総長選考会議参加者による投票で選ばれる。

 

学生教職員による全員投票じゃないのは、いくつかの理由が考えられるが、一番大きいのは全員投票に要する巨大時間的・金銭的コスト

国政でさえ投票用紙によるアナログ投票システムのため、総長選も必然的にアナログ。

 

自分たちの学生生活に影響を及ぼしうる役職がいつの間にか決まっている。そう考えると、ちょっとは次期トップを務める人を調べる気も起きる。

 

こうしてみると自民党総裁選も多少身近に感じられたのではないだろうか。

 

ちなみに毎日投票できる(1人一票ではない)という点で異なるが、ミスター&ミスコンのように電子システムが普通選挙に導入されるとしても10年以上先だろう。

 

 

投票権がなくても支持・不支持といった世論を何かを介してトップへ伝えることはできる。

この記事で伝えたいのは、ミスター&ミスコンのように容姿やキャラで判断するのではなく、政策や今後の舵取り方針を見て支持するかどうかを決めた方がいいのでは?ということだ。

 

歴史の教科書の歴代首相一覧を見ていると濃いメンツが並んでいるが、キャラで外交や経済対策を指揮できるわけではない。

 

自分も含め、政治参加への第一歩である投票権を行使する機会が訪れた際にはきちんと政策まで目を通したい。
できれば各候補者の考え(現職に関しては
Wikiに載ってる)や公約(達成する人かどうか)も含め判断したい。

Make a choice

洗濯をしてきた。否、これまで様々な選択をしてきた。

朝パンにするかご飯にするか、歩くか自転車に乗るかといった些細な事から
言葉をかけるかどうか、AとBどちらの部活に入るか、どの道(文理、学科、コース)に進むかまで
幾度とない分岐を経て今の自分がある。

多くの経験とくやしさ、悲しみ、後悔、安堵、喜び。

 

今日も小さな選択から進路を決めかねない大きな決断をした。

「えいっ」と意気込んだ能動的な決定だけではなく、ふとした判断でいつのまにか事が進み、後になってそれが決断だと気付くこともある。

 

今回の決断はその中間。

優先順位を付けたうえでの判断だったため、覚悟はしていたものの一度手にした切符を手放すというのは精神的に大ダメージである。ハピナスといえども瀕死になるほどの物理攻撃(このポケモンって防御が高かったっけ?)(もとはと言えばしっかりフル単していれば…とさらに自責の念)

 

「棚からぼたもち」ということわざもあるが、私の経験上 無意識の判断は大きな後悔の源となりうる。

 

まぁ後悔していてもしょうがないから早めに寝て切り替えるしかないのだが

走りながら先を見据え考える。そんな時にふと足元をすくわれることもある。

 

さぁ朝は洗濯しよう。

 

 

偉くなるとは

みなさんは将来偉くなりたいだろうか。

 

最近社会人の話を聞く機会が多い。
様々な業界・職種の人から聞く話は新鮮で、どれも世間で欠かせない誇りある職業である。

今回はその中で感じたことを書く。

まずは前提の共有から。
現在の日本社会は分業制であるため一つのものを消費者のもとへ届けるもしくは作り上げるまでに多くの企業が携わっている。

その中で必然的に発注者と受注者、企業から直接依頼された元請けと下請け・孫請けなど力関係(はっきり言えば上下関係)が生まれてくる。

発注者として働く人に話を聞いたとき、さも誇らしげに「受注者にきつく言うときもあるんですよ。こちらも上司から納期はいついつまでと言われているからね。」と語っていた。彼は自身の仕事内容よりも発注者として受注者に対して上の立場に立てることを自慢しているように見えた。

 

私は浪人時代「将来ビッグな男になってやる」という決意を基に勉学に励んだ。その結果今の大学に入学し、将来の進路について考えている最中に遭遇したこの社会人に愕然とした。

納期を守ることは重要だ。だが上司に言われるからと言ってそんなことがまかり通るのか。もっと早くから受注していればよいものを、命令したことを誇らしげに語るとはなんとかっこ悪い。


もちろんそうした慣習はその人・その組織だけなのかもしれない、そう思いたかった。だが私は悟ってしまった。今の社会で命令できることを誇りに仕事している人のなんと多いことか。

これまで会ってきた人に恵まれていたor彼らが演技上手(社会の実情を見せないようにしていた)だったのかもしれない。

 

本来仕事は生きるために、自分も含めた社会をよくするためになすべきものだと私は考える。だが、立場を利用して他人を脅すことを誇りにする。これは業種だけでなく、上司部下の関係にも通じる。

 

これを見聞きするたびに思う。

そんなことをするためにあなたはその職に就いたのか。偉くなったのか。

立場の弱い人への命令というものは怒りとなって命令された人に蓄積し、さらに立場の弱い人へ発散されることとなる。その負の感情が最終的に行き着くのが立場の最も弱い子どもとなることもある。

やや論理が飛躍しているのは承知の上で、理不尽な命令というものは雪だるま式に下へ下へと伝達され、伝達されればされるほどどんどん大きくなっていくものなのだ。

 

いつかの「ビッグな男になりたい」と語っていた私自身へ。

あなたは当時の自分から見て誇りに思える姿か。気ばかり大きくなって周りを見下していないか。

今の自分から見て10年後の自分が仕事それ自体を誇りに思い、立場を盾にほっつき歩く「虎の威を借りる狐」にならないように肝に銘じたい。

成功体験

 書く方も身構えてしまうような大々的なタイトルですが、成功体験というか個人的に上記ツイートに通じる経験を思い出したので忘備録として。

 

 

 

1、私の体験①

まず一つ目は高校時代に見知らぬおばちゃんを助けた(?)こと。

実際私がしたことはちっぽけで、雨の中自転車ごと倒れたおばちゃんを見て自転車を起こすのを手伝っただけ。

 

立ち上げた自転車を道路脇に停めて「ありがとね」「いいえ~」という会話で立ち去る

 

通学途中、ほんの10秒ほどの出来事

 

それから一週間くらいして、その道を通りかかると誰かに呼び止められふと横を向くとそのおばちゃんが立っていた。

そして一言

「この前助けてくれた子やね」

私「はい、(大丈夫でしたか)」

おばちゃん、言葉をさえぎって

「おばちゃんめっちゃ感動したんよ!最近は困ってる人を見て立ち止まって助ける人なんてなかなかいないけんね(中略)お礼したいから今週の土曜日ここで待っとるけんね(^^)/」

 

そんなこんなあって断ったにもかかわらずお礼してくださることになり、なんと図書カード数千円分もらいました( ゚Д゚)

 

ほんの少し助けただけなのに・・・

でも、ちょっとした善意が世の中の誰かのためになるんだな と

これからもちょっとした事でも人の助けになることをしていこう と

そう思うきっかけになりました(図書カードは問題集購入に使いました、ありがとうございますm(__)m)

 

2、私の体験②

もう一つはこれ!

 

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UDONです!!

 

前回の記事でも書きましたが、私はうどんに多くの時間を割いてます。

そのきっかけとなったのがある夏祭りでのうどん店出店なのですが、結果から言うと雨の中5時間で267食のうどんを販売しました!

 

5万円ちょっとの売り上げ(利益は5000円,携わった10人で割ると1人500円の配当でした(;'∀'))

この記事を読んでいる人からすると少ないと感じるかもしれませんが、大学一年の私からすればこんな感じ

「用意した300食完売できなかったもののめっちゃ売り上げたぞー!!!」

 

高校時代に文化祭で卸売りの和菓子を販売した程度、それも毎年販売しているからという受働的な理由でしか物品販売したことがなかった私にとって初めての能動的な物品販売。

 

祭りの申し込みや保健所への書類提出はもちろん、商品開発・器具のレンタル・食材の取り寄せまですべて一人で行いました(その分周りの人に迷惑かけましたが💦)

 

そして迎えた祭り前日、明日の天気予報は雨。

手伝ってくれる上級生にうまく手順を伝え店を回せるだろうか

食中毒が出ないだろうか

直前になってよぎる不安

 

大雨にも見舞われ売れ行きは思わしくありません。

大量の売れ残り(&赤字)が頭をちらつく中、道行く人に向かって「本場の讃岐うどん、香川から取り寄せた麺・だしを使ったうどんはいかがですか~」

 

徐々に買ってくれる人が現れ、昼飯時が過ぎた最後の2時間で100食売り上げ何とか黒字となりました( ^^) _旦~~

 

「物を買ってもらうこと、それは究極の自己承認だ」

この言葉通り、

自ら丹精込めて考えて作ったものがお金という対価で交換される価値を有する

=自分が価値を提供できている≒(やや飛躍があって)世の中で必要とされていると実感できました

 

3、まとめ

一つ目は偶然、二つ目は能動的に動いた結果でしたが、どちらも私自身の行動の核、いうなれば成功体験となっています。

冒頭のけんすう氏のツイートで述べられているように、知らない人からお金というわかりやすいバロメーターで評価を与えられると(私の場合は金額に関係なく)「僕が進んでいる道が正しいのかどうか分からなくて不安だったけど、この方向でいいんだ!」と一つの道筋となるんですね。

 

なので、若いうちから何かを販売する経験というのは大事(最近はPolcaやSHOWROOM等目標やライブ配信に対価を払うサービスが誰でも利用できるそう)だし、払う側としてもアドバイスを含めた評価を積極的に行うことができる時代となっているので挑戦→フィードバックの流れが整っている。挑戦者支援者双方にとって風通しがよくなってきたと感じます。

 

 

 

以上お金を一つの指標とした個人的な体験を書きましたが、お金が絡まない成功体験(例えば感謝された、大人数集めた等)ももちろんあり、人によってそれぞれだと思います。

 

今後もインプットを継続しアンテナを張り続けることで物事を多角的に見られるよう精進します。

 

おしまい

 

 

 

NANIMONO

お久しぶりです。直木賞受賞作「何者」の著者朝井リョウさんの本にはまりかけのudonです。(といっても前述作品とその関連本「何様」、自叙伝「学生時代にやらなくていい20のこと」しか読んでないですが…)

追記】夏休みに時間ができたため「スペードの3」読みました!登場人物の感情が揺れ動く様子がさりげなく情景描写で表されていてやっぱり面白いですね

 

さてこのタイトルにしたのは就活を前に自分を見つめ直したからではなく、ふと自分自身について考えるきっかけとまとまった時間ができ「これまでの大学生活を振り返ってみよう」と思いたったためです。

 

ハンドルネームからも分かるように、私は平均的大学生よりうどんと図書館に時間を費やしてます(`・∀・´)エッヘン!!(わからねえよ、そしていばるなよ(-_-)/というお約束のツッコミ)

うどんをたまーーに作ったり、販売したり、食レポしたりしてます。地元がうどんネタに走る県なのでその流れをくみ取っております。「うど〇県」とか「や〇ん県」と改名する地元県を決してダダ滑りさせまいとしてるのです(ばっちり建前&後付け)

 

本音はといえば、アイデンティティとしてうどんを推しているという感触です。

 

高校卒業までうどんを月一食べる程度でしたし、まさか自分で作るとは思ってもいませんでしたΣ(゚д゚lll)ガーン

 

県外の大学に来ているとは言うものの、うどん県民として恥ずべき過去(?)を持つ私がうどんを語ってもいいのか?本場のうどんとして祭で売ってもいいのか?そんな苦悩を抱えながらスパゲッティをゆでる日々が続きました(うどんじゃないんかーい(;´・ω・))

 

(◜◡‾)パスタ・・・タベタ・・・
(◜◡‾)・・・

(◜◡‾)ウドン・・・タベタ・・・
(◜◡‾)イイナ・・・

 

 

ここで気づいたことは「やっぱりうどんが一番好きだ!(ただし麺類カテゴリに限る)」ということです。

 

特許や権利は侵害NGですが、うどん好きを語るのに資格も皆伝も要らないのです。

↓一時期話題となった讃岐うどん早見表です。こんなに種類があるんですね

ちなみに学祭では釜玉うどんと釜かけうどん(じゃこ天を載せる予定です)を販売します

 

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そろそろおなかが減ってきたのでこの辺で!

Good loser Bad loser

勝負事というものには勝者もいれば敗者もいる。

もちろんある種のスポーツには引き分けが存在するし、社会で生きていく中では明確に勝ち負けがつかないものがほとんどだろう。今回はその中でも悔しさや屈辱感を少しでも感じる場合、その個人及びチームを「loser」と呼ぶことにする。

 

loserはこの表のように大きく4タイプに分けられると考えられる。

 

 

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自己に対する洞察とは、自らの取り組みに対する反省及びそれを教訓として生かすこととする。一方、他者に対する洞察とは、他者を称えるもしくは貶すことに加え、周囲の環境と結果とを結ぶつけようとする考えである。

 

想定しやすいように、受験を例にとって「Good loser」と 「Bad loser」について説明する。さらに具体例として受験に失敗し、第2志望の大学に入学した大学1年生X君を取り上げる(※実在する団体・人物とは全く関係のないものです)

 

1、Aの場合

X君は、志望学部の入試が数学200点、国語200点、英語200点、地歴公民(一科目)100点の配点にもかかわらず、配点の低い世界史が大好きだったため世界史の勉強ばかりしていた。担任や周囲の言葉に耳を傾けず、ネットで知り得た「数学はできる人とできない人の差が大きく数学ができない人の中でも他の教科次第で合格できる。だから、受験科目の中で最も切るべき科目だ」という真偽不明の情報を当てにしていたためである。その結果、数学だけでなく英語の試験も振るわず受験に失敗してしまったとX君は反省した。

大学入学後は教養科目の単位をすべて取得するため、好きな科目の勉強はほどほどにして、苦手意識を持っている科目の勉強にもある程度の時間を割いた。その結果満足のいく成績をとることができた。しかし、彼は院への進学を考えており特定分野のスペシャリストとなることが求められる専攻科目及び研究ではどうなることやら。。

 

2、Bの場合

上記英語の反省点に加え、情報を常にアップデートすることに加え情報の真偽を確かめるようになった。学年が進んでいくにつれて、一分野へ特化した勉強に専念する方がベストだと理解し、特化した勉強をするようになった。

 

3、Cの場合

まったく過去を顧みることなく、その場その時の感覚と周りの動きに倣うだけでX君は因果をほとんど考えなくなった。単位は修得できたものの自ら考えてこなかったため将来何をしたいのか、どういった分野で働きたいのか模索する方法すらわからない。

 

4、Dの場合

ある授業の期末試験で単位を落とし、X君は留年の危機に陥った。その原因を「期末試験の傾向が変わったからだ」と決めつけ、過去問や友人のレクチャーに頼りきりだった自らの姿を全く顧みなかった。

 同じ試験を受けたにもかかわらずしっかり単位を修得した友人の姿をX君は思い浮かべた。そして、彼は授業の予習復習をしっかりして試験に備えることが必要だと悟る。

私が思う「Good loser」とは、BとDの一部(他人の行動をしっかり観察し自らの姿を重ね合わせる場合)である。

Bは自他ともに深い洞察をすることから、結果を主観的・客観的に受け止めることができ、その後に活かせる教訓を学べることが多い。自問自答しすぎてはいけないし、周りに原因を求めすぎてもいけない。内的及び外的反省、その両方がそろって初めて悔しさを感じている張本人が前に進むことができるのだ。

 

このようなことを書いた要因の一つはボクシングWBC世界バンタム級タイトルマッチの山中選手の敗戦である。対戦相手の体重超過については賛否両論があるが、山中選手をはじめすべてのloserには自他ともに深い洞察を経ることで次のステップへ進んでほしい。

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島✖️猫

今週のお題「ねこ」

島には猫が多い。

勿論猫がいない島もあるが、島には猫がいるという通念があるように思われる。

猫ブームの影響で島に猫を求めてやってくる人も多く、漁業で生活が苦しくなってきた島では観光の目玉である。

まさに猫様様だ(笑)

世間一般では、離島には猫の天敵(犬やカラスなど)が少ないから猫の楽園となっていると考えられがちである。

たしかにそれもあるだろうが、私は島にいるうちに別の理由があると感じた。


それは猫をも許容するのんびりとした環境である。その空気は都会にはない。猫がコンビニや職場に入ろうものならすぐ追い出すだろう。

一方、島では猫が職場に入ろうが小さな商店に入ろうが気にしない。漁師も魚を取られても気にかけない光景がある(実際に目撃したことはないが、漁師小屋の周りをうろうろしている猫を見ると瞼にその光景が浮かぶ)


決して「お魚くわえたどら猫〜

追ーかっけーてー」の光景は見られないのだ


というわけで、観光客は猫を求めて島へやって来るが、その猫を育んだのは他でもない「島ののんびりとした空気」なのである。


人も猫も時間の流れを忘れて昼寝でもして過ごすことができる。それが島の魅力の一つだ。