世界ランク1位ならば金メダルは必然か

小平奈緒選手が平昌オリンピックのスピードスケート女子500mで金メダルを獲得した。

オリンピックレコード(OR)での優勝ということでその走りは圧巻だった。

優勝後のインタビューの冒頭の一言

「周りが何も見えないくらいうれしいです。考えないようにしていたこともあったんですけど、すべて報われたような気持ちです。」

彼女のこれまでの努力や日本選手団の主将として、トップアスリートとしてのプレッシャーとの闘いは計り知れない。

 

 

ただ、オリンピックのメダル予想特集では違和感を覚えるものが多かった。

スピードスケート第一人者である某選手がその番組の解説者として出演していたのだが、こう断言した。

「小平選手は絶対金メダルを取ってくれます!!」

 

確かに500mでワールドカップ15連勝&世界歴代2位の記録、1000mで世界記録を有する小平選手は金メダル有力視されるのはしょうがないのかもしれない。

しかし、スポーツというものは何が起こるかわからないものである。前回のソチオリンピックでは無敵と言われてきた女子ジャンプの高梨選手が4位となりメダルを逃した。記憶に残っている方も多いだろう。

 

それでも初めてのオリンピックで世界4位になること、それは堂々とした記録である。

しかし世間の目は高梨選手に冷ややかであったと記憶している。ソチから帰国した彼女に殺到する報道陣、「残念でしたねー。ですが次のオリンピックではリベンジしてくれるでしょう」というキャスター、そしてその報道に興味津々の視聴者。

 

当時高校2年生だった彼女には酷だったように思える。私は高梨選手と同じ年であるが、その年齢でワールドカップ総合優勝をはじめとして数々の記録を残してきた彼女。金メダル確実視という前提で報道やインタビューが執り行われ、そのプレッシャーは莫大なものであっただろう。日本代表である前に彼女は一人の人間なのだ。そっとしておくという選択肢はないのだろうか。甚だ疑問に感じる。

 

極論を言ってしまえばオリンピックなぞ、一大会に過ぎないのである。それなのに、メダルを逃したからと言ってはれ物に触るような扱いをするのはおかしいのではないか。

最もひしひしと結果を受け止めているのは選手自身であるのに、無慈悲な報道は選手の精神的ダメージをさらに増幅させてしまうだけである。

 

その背景には、日本(のメディア)が無意識のうちに持つ「オリンピック至上主義」があるのではないか。オリンピックでメダルを取れば時の人となる。選手強化費用やスポンサー協賛など資金の集まりやすさもオリンピックの結果を重視することが多いように思える。また、日本オリンピック委員会は、1992年バルセロナオリンピック以降のオリンピック金メダリストに300万円(2016年リオデジャネイロオリンピックからは500万円)、銀メダリストに200万円、銅メダリストに100万円の報奨金を贈っている。これはアマチュアスポーツには大きい額である。この仕組みも「オリンピック至上主義」の結果作られたものであるだろうが、こう至った経緯については別に考察しようと思う。(覚えていれば)

 

東京五輪を2年後に控え、五輪特需ということで様々な競技環境が向上している。

 

予算は限られているため、五輪特需を終える東京五輪後には結果が芳しくなかった競技から予算がカットされるなど淘汰されるであろう。

www.sankei.com

となると、各競技に携わる選手及び指導者は血眼になってメダル獲得を目指しているだろう。報道がさらに淘汰を促進させると考えれば、スポーツが純粋な競技ではなく、日本国内でのスポーツの未来にも関わるといっても過言ではない。

 

選手は変なプレッシャーを感じず競技に集中する、そして報道を含めた周囲は結果がどうであれ応援するという54年ぶりの日本開催夏季五輪になることを望みたい。

 

それでは