偉くなるとは

みなさんは将来偉くなりたいだろうか。

 

最近社会人の話を聞く機会が多い。
様々な業界・職種の人から聞く話は新鮮で、どれも世間で欠かせない誇りある職業である。

今回はその中で感じたことを書く。

まずは前提の共有から。
現在の日本社会は分業制であるため一つのものを消費者のもとへ届けるもしくは作り上げるまでに多くの企業が携わっている。

その中で必然的に発注者と受注者、企業から直接依頼された元請けと下請け・孫請けなど力関係(はっきり言えば上下関係)が生まれてくる。

発注者として働く人に話を聞いたとき、さも誇らしげに「受注者にきつく言うときもあるんですよ。こちらも上司から納期はいついつまでと言われているからね。」と語っていた。彼は自身の仕事内容よりも発注者として受注者に対して上の立場に立てることを自慢しているように見えた。

 

私は浪人時代「将来ビッグな男になってやる」という決意を基に勉学に励んだ。その結果今の大学に入学し、将来の進路について考えている最中に遭遇したこの社会人に愕然とした。

納期を守ることは重要だ。だが上司に言われるからと言ってそんなことがまかり通るのか。もっと早くから受注していればよいものを、命令したことを誇らしげに語るとはなんとかっこ悪い。


もちろんそうした慣習はその人・その組織だけなのかもしれない、そう思いたかった。だが私は悟ってしまった。今の社会で命令できることを誇りに仕事している人のなんと多いことか。

これまで会ってきた人に恵まれていたor彼らが演技上手(社会の実情を見せないようにしていた)だったのかもしれない。

 

本来仕事は生きるために、自分も含めた社会をよくするためになすべきものだと私は考える。だが、立場を利用して他人を脅すことを誇りにする。これは業種だけでなく、上司部下の関係にも通じる。

 

これを見聞きするたびに思う。

そんなことをするためにあなたはその職に就いたのか。偉くなったのか。

立場の弱い人への命令というものは怒りとなって命令された人に蓄積し、さらに立場の弱い人へ発散されることとなる。その負の感情が最終的に行き着くのが立場の最も弱い子どもとなることもある。

やや論理が飛躍しているのは承知の上で、理不尽な命令というものは雪だるま式に下へ下へと伝達され、伝達されればされるほどどんどん大きくなっていくものなのだ。

 

いつかの「ビッグな男になりたい」と語っていた私自身へ。

あなたは当時の自分から見て誇りに思える姿か。気ばかり大きくなって周りを見下していないか。

今の自分から見て10年後の自分が仕事それ自体を誇りに思い、立場を盾にほっつき歩く「虎の威を借りる狐」にならないように肝に銘じたい。